火祭り




往馬大社

近鉄生駒線の壱分駅を降りると、西に生駒山(642メートル)の雄大な姿がある。この辺りから眺める生駒山は、実に逞しく、みるものに迫ってくる。その麓に往馬大社(往馬坐伊古麻都比古神社)の杜が精気に満ちた力強さを周囲に放って横たわっている。広い境内に足を踏み入れると、両側の座小屋や正面の高座(御旅所)が目に入る。これら祭りに使われる建物の奥、傾斜の急な石段を、途中楼門を経て登りきると、桧皮葺き春日造りの社殿七棟がずらり並んでいる。
往馬大社は生駒谷十七郷の氏神で、創祀は古く、奈良時代の正倉院文書に既に登場する。『延喜式』神明帳には「往馬坐伊古麻都比古神社二座」として大社として扱われている。イコマツヒコとイコマツヒメ(生駒の彦と姫)という男女一対の神がもともとの祭神であった。その後、鎌倉時代には神功皇后を中心とした八幡信仰へと信仰対象を拡大させ、生駒八幡宮となる。江戸時代には、先の男女一対の神はまったく姿を隠し、牛頭天王と八王子になるが、明治以降、この二神が再び見いだされ、今日のように中央に遷された。

火燧木神(ひきりきのかみ)

この男女一対の神は、「火燧木神」と呼ばれていた。今ではマッチすら使わずに、ボタン一つで火は得られるが、もちは木と木を擦り合わせていた。生駒の神はkの「火を燧りだす(きりだう)木の神」であった。大嘗祭(天皇即位礼の際に初めて新穀を神々に献じる儀式)の為に悠紀・主基二国を決めるときに、亀の甲羅を焼いて占うが、その時の火燧木(ひきりき)は生駒社から献上されたものが使われる習わしがあった。この火燧木は波波迦(ははか)といい、今日の上溝桜(うわみぞざくら)にあたるという。

荒々しい秋祭り

こうした故実からくると思われるのが、毎年体育の日の前日(もと十月十一日、さいに以前は旧暦八月十一日)に行われる独自の秋祭りである。神前から〈火を取り出す〉ことがこの祭りの最大の特色である。一般に「火祭り」と呼ばれているが、かっては宮座が主体であったので、「座祭り」、魚市が立って盛んにナマブシが料理されたので「フシ祭り」、すべてが競争でなり立っているので「勝負祭り」、また喧嘩が絶えなかったので「喧嘩祭り」といろいろな側面からこの祭りは呼び習わされてきた。「生駒の神さんは血見やなおさまらん」「生駒祭りは血祭り」と言われ、かっては相当荒々し祭りであったようだ。
宮座は廃止されたが、座祭りの影響は今も色濃い。祭り全体を差配するのが、生駒谷を上下(現在は南北と改称)に分けてそれぞれ四人ずつのベンズリ(弁随)という役である。ベンズリは神職よりも強い権限を持ち、機嫌を損ねると祭りはできないという。また燃えさかる麻穀(あさがら)の松明(たいまつ)を担いで石段を駆け下りる火取り役はこの神事の花形で、介添役のワキビ(脇火)と二人一組で、合計四人が勤める。

本祭り

本祭りは当日の午後三時頃から神輿御渡がある。青竹を手にした裃(かみしも)姿の警固を先頭に、楽人、神旗、高張提灯(ちょうちん)・猿田彦・稚児・鉾・獅子・大幣(おおぬさ)・火松明・火取り・ベンズリ・神輿などが拝殿前から境内の山を下って石鳥居から入ってくる。広場には早くから大勢の観客が詰めかけている。南北には高張提灯がずらりと並び、中央には三メートルほどの大幣が八本並ぶ。やがて神輿はベンズリに先導され勢いよく担ぎ込まれ、そのまま一気に高座の中に納められる。今は神輿が着御するとすぐに上下の若者たちによる御供上げが始まる。上下の御供所から各種の神饌(しんせん)が手送りで供えられ、その早さを競う。終わると今度は広場に並んだ大御幣を宮司が順に振る。神職が三本目の御幣に触れたとたん、大太鼓が打たれ、これを合図に大松明を広場に引き出し、地面に立てる。その上に若者がよじ登ってゴゴウシ(御串)を突き刺す。膨らんだススキを突き刺すので、これをオハナに立てるといい、早く四本立てた方が勝ちとなる。このあと巫女神楽があり、さらにベンズリの舞が行われる。悠々と演じられるベンズリの所作に「よーアゼ踏んどいてや」などと周囲からいろいろと声が掛けられ、ひとしきり賑わう。

火取り

ベンズリの舞が終わると、いよいよ最大の呼び物の火取りとなる。こうした一連の行事の間に人々の期待感は次第に高まっていく。ゴゴウシが再び現れ、上下に分かれて境内東側に待機する。火取りは高座のすぐ下で真剣な面持ちで控えている。高座の奥で炎がゆらめき始める。高座の奥の火出し役は、二つの松明に十分火を燃え移らせてから、「よしか、よしか、よしか!」と火取り役に声を掛ける。三度目の掛け声で燃え盛る松明を手渡すと同時に、火取りは松明を肩に担いで全速力で石段を駆け降りる。早く石段を降りた方が勝ちで、ベンズリが弓を倒して判定する。火取りはそのまま境内を駆け抜けて、ゴゴウシのそばを通り抜ける。その瞬間、火はススキに燃え移って大きく炎が舞い上がる。これらは一瞬の出来事で、それまで固唾(かたず)をのんで成り行きを見守っていた観衆から大きなどよめきがあがる。そのあと人々は帰途を目指して一斉に散らばり、神輿は還御を始める。

神の火から人の火へ

徐々に期待感が高まり、そして一気に終わるこの祭りを、かってある新聞は「十秒間祭り」と表現した。言い得て妙だ。しかし、このあまりにもユニークすぎて他に例を見ない火取り行事は、いったい何を意味しているのか考えてしまう。
擦る杵とそれを受ける臼から火は生まれる。火を燧り出す男女一対の木の神とは、火燧杵と火燧臼の事なのであろう。神前でようやく与えられた火は一刻も早く取り出して守らなければならない。火が神から与えられたとする神話はいくつもある。ギリシャでは、プロメティウスが神の元から火を盗み出して人間に与えたために永刼の罪を受けた。生駒の火祭りのなかにも、我が国における神から人へ火がもたらされた物語の片鱗が伝えられてきたように思えてならない。

鹿谷 勲 日本民族学会会員


火取りの瞬間



神輿





大松明にゴゴウシを突き刺す

ベンズリ舞

巫女神楽

火出し役

火取り行事

写真撮影:吉川章

 

平成29年度往馬大社火祭り

■本宮画像①
■本宮画像②
■本宮画像③

平成29年度火祭り

■宵宮画像